所在なき今日と明日の間で

半裸で鏡の前に立つ。よく鍛えられ引き締まった肉体は、それでいて機能美を兼ね備えている。決して見せかけではない、本物の努力の証がそこに映っていたが、その肉体に乗っかった顔面は、どこか自信なさげにも見えた。

__________________

 今や街ゆく人々も"マイプロテイン"と"be legend"のどちらが優れているか議論できる時代になった。プロテインメーカーの優劣まで議論できないにしても、なんでもない人達もジムに行く時代になった。私がジムに行き始めたのはおよそ6年前だが、その当時は「なんでジム行ってんの?」とか「何を目指してるの?笑」とか言われまくっていたので、良い時代になったなと思う。

 6年もジムに行くとそれなりの肉体になる。私はビルダーではないし、ジムに行く理由は単純に鍛錬を生活に取り入れるためだから、自分の肉体が美しくなろうが筋肉ダルマになろうが、自信が付くわけでも、前向きになるわけでも攻撃的になるわけでもなかった。目的もない、目標もない、ただの営み。なんだか自分の人生みたいだと思った。まだ、女とセックスするために鍛えてると公言する人間の方が輝いているのかもしれない。

...............................................................

 ここのところ、いくつかの哲学書を読んでいた。國分功一郎に始まりパスカルラッセル、ハイデッガー。別にうつ病になったとかではなく、単純に人間が生きていくことの理由に自分の中で整理を付けるため、いくつかの哲学者の考えを知りたいと思ったから読んだ。結局どいつもこいつも、人間は退屈の中にそれっぽい理由を見つけて、その後付けの理由のために邁進して生きてゆけという結論を持ち出すだけで、新しい発見はなかった。強いていうなら、少なくとも400年ほど前から既に人類は自分たちが生きているワケについて疑問を覚えていたことが分かった。

 分かるだろうか?我々は「勝手に生きろ。好きに生きろ。」と言われているのだ。そんなことで良かったなら小学生くらいの時にはっきり言っておいてくれよ。「君らはこれからの時代、勝手に生きろ。好きに生きろ。」と。何か大義やら理想のために人間が生きているかのような、ロマン主義のような価値観を醸成しても現代人は不幸になるばかりではないのか。

  まあ、そんなこと今を生きる我々の世代にしか共有されない感情な訳だから、誰かに教えてもらうというのも無理な話だろう。ましてや学校で教えてもらうことを期待する内容ではない。戦争を肯定する気など微塵もないが、戦前戦後でインターネット等の誰でも閲覧できる記録のプールがなければ、お国のため、勝利のため、復興のためにとどこかから与えられた価値観の中で無批判に、そして懸命に生きていくことも可能だったかもしれないが、今は別にそんな時代でもない*1。 価値観すら、自分で掴み取らねばならないのか。

__________________

  じゃあ何をすれば良いだろうかと悶々と考えていたが、特にやりたいことはない。「好きにしろ」と言われて思いつく仕事がない。

 では、どう生きていたいだろうか?そういえば今まで仕事ベースにしか考えたことがなかったが、ライフスタイルから考えてみてはどうか。少なくとも、東京住みはもうイヤだ。なぜ物価が高くて人が多い土地に縛り付けられなければならないのだろうか。東京の最先端の流行にも夜遊びにも興味ない。東京は出会いが多いかと思えば人が多いだけだし、本当に知り合いたい人となら最早、対面で知り合う必要もなくなりつつある。というかタイとかの物価の安いとこでタワマンとかに住みたい。私、高い所好きなのよね。

 会社に雇われるのもヤメにしたい。組織でしか達成できない仕事・価値の提供があることは理解できるが、社内政治に責任の押し付け合い、上席への説明のために割かれる時間、誤謬なく、そのうえ組織の不利にならない文書の作成、いわゆるジェネラリストとしての仕事におそらく私は耐えられない。自分の雇主は自分がいいし、仕事内容は専門的で職人的な方が好ましい。

 だとすると、ある程度場所を選ばずに働けて、なおかつ個人事業主として活動するというのが自分の望ましい生き方を達成するための条件となる。自分が今から本気出してそういう道を模索するとしたら、時勢を考えるとプログラミングを勉強してどうにか独立するというのが1番実現の可能性が高いような気がする。

 と、いうことでSEを目指すことにした。当面は42Tokyoという無料のプログラミングスクール*2に入学することを目標に活動しようと思う。会社は…まあ1、2年の間に辞めようと思う。父母には反対されるというか心配かけるだろうし、友人にも変な目で見られることになるかもしれないが、最早どうでもいい。もう25年間も優等生をやってきたし、十分だろう。どうせ所在なきこの世界、好きにやってみたくなった。生きていくだけなら別に乞食でもホームレスでもいいし、ここらで不確実性を取り入れてみるのもいいだろう。

*1:この点は三島由紀夫がそれっぽいことを言っている。彼は愛国主義者だから極端ではあるが、現代人の抱える退屈感をよく捉えていると思う。"https://www.nicovideo.jp/watch/sm18434718"

*2:https://42tokyo.jp/