人生の一番長い年

 ジャネーの法則というものがある。端的に言うと、時間の流れは加齢とともに早くなる、つまり一年の長さは年を取るごとに短く感じるようになるという考え方である。本当だろうか?諸説あるが、少なくとも私はこの考え方は嘘だと思う。27歳で迎えた2023年は、私にとって一番長く感じた一年だったから。

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 2023年1月、私はとある外資系のコンサルタント会社に就職した。いろいろと悩んだ結果、コンサルタントとしての能力を身に着けた後に独立して起業し、個人のコンサルタントとして生計を立てたいと考えた結果の行動だった。

 Big4と呼ばれる大手の外資コンサルタントへの就職は不安でいっぱいだった。求められる水準の高さ、激務を原因とする精神疾患による離職率の高さ、アップオアアウトの厳しい職務環境。どれもうわさに聞いただけであり事実無根ではあったが、それまで生ぬるい環境でしか働いたことのない私をビビらせるだけの情報がネット上には溢れており、鵜呑みにはしないまでもそのような環境に身を投じるのだというプレッシャーを勝手に抱え込んでいた。

 振り返ってみれば、それらの噂は部分的には正しく、部分的には正しくない。確かに求められるものの水準は高いし精神疾患で職を離れる人間も一定数いる。だが、大きな目で見ればクライアントから高いコンサル料を取る対価に品質の高い資料を作ることで少々高めの給与を得る、ただの仕事だ。恐れを前提に構えるほどのものでもないし、大きなプレッシャーを感じなければいけない仕事というわけではない。

 しかし、私はその肩書を恐れ多大なプレッシャーを感じながら日々の業務にあたっていた。この程度の品質の資料で外資コンサルを名乗って良いものか、この程度の仕事量で高いコンサル料を取っていいのか、その資質が自分にあるのか、そもそも向いていないのではないか。提出する資料にはいつも自信がなく、日々無力感と出来ない自分へのもどかしさを感じ、これが正解なのか、この程度のものでいいのかという自問自答は常に続いた。

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 得てして、コンサルとして働き始めて半年、2023年6月に私はうつ病になった。スーツを着てリュックを背負い靴まで履いた足が止まる。靴を脱いで何となくソファーに座り込んでいるうちにどうやっても出社には間に合わない時間になっていた。意思とは関係ないところで出社を拒否した自分を見つけて、精神科に行って診断書をもらうことを決意した。どうしてそんなことを考えていたのか思い出せないが、その時は「診断書さえあれば仕事を休めるはずだ」ということしか考えられなかった。先々の仕事のことは考えないようにした。誰かが私の空けた穴を埋めなければならない為に苦労をすることになると分かっていたが、ただ休みたいとしかその時は考えられなかった。

 兆候はあった。夜は明日が来ることが憂鬱で眠れず、夜中には何度も目を覚まし、朝は今日という日を受け入れられなくて起き上がってこられない。原因のよく分からない頭痛や吐き気がして上手く頭が回らない。明らかな兆候だったが自身がうつ病になるということを受け入れられずにいた中で、最後は身体が私に態度を示した。最早受け入れざるを得ない。

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 一か月間仕事を休んだ。休みの間、ゲームに没頭して気が付いたら夕方になっていたり、一日中寝ていたり、言いようもない不安や希死念慮に駆られて訳も分からず涙を流したこともあった。浴びるほど酒を飲んで、なんとか元気に振舞うことで周りを安心させようとすることもあったが、飲酒の翌日は大抵病状が悪化した。こんなことをしていても、病気は治らない。医者に言われた通り規則正しい生活を取り戻し、飲酒は控え、日中は身体を動かしたり読書や勉強に時間を充てるように生活態度を改めた。いくつかうつ病克服に関するエッセイを読み、病理としてのうつ病を学び、その仕組みを理解して克服しようと努めた。

 そうして7月、うつ病を発症した際に私を庇い、有給や傷病休暇の取得なしに私を会社に在籍させてくれた(特例も特例である)上司の元で再び働き始めた。簡単な仕事から始め、休みがちながらも徐々に仕事量を増やし、気が付けば元の仕事量と同じかそれ以上の仕事をこなせるまでに回復していた。上司や先輩の多大なるサポートがあったこと、私自身にコンサルとしての能力がついてきてアウトプットが上手くなったこと、仕事に慣れてきたこと、仕事に対して妙なプレッシャーを感じることなく泰然として業務に当たれるようになったこと、常駐形態からリモート勤務主体の働き方に変わったこと等、色々な要因があってどうにか復帰したのである。

 二度とあんな精神状態に戻りたいとは思わないが、うつ病になったこと自体は悪いことばかりではなかったと感じている。休んでいた期間は自身を見つめなおす良い機会を与えてくれたし、どうなると自分が精神的に追い詰められるのかについて知ることもできたし、仕事へ取り組む姿勢をどうすべきかについての知見も得られたと思う。それに、27歳の独身という状態でうつ病になれたことはむしろ幸運だ。家庭を持ち、妻子を養う立場にあってうつ病になっていたらもっと大変だっただろう。

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 とかなんとか言いつつも、私は友人の勤める会社に紹介を通して転職活動を行い、恙なく次の就職先を見つけた。間違いなく私の働いていた会社は社会的意義という観点から見ても、個人への成長の機会の提供という観点から見ても、そこで働く人々の素晴らしさという観点から見ても、本当にいい会社だった。

 ただ、今ではないと感じた。この会社で十分にやっていくにはもっと成長してからではないといけない。社内で成長していくというやり方も勿論あるだろうが、情けない話、そうするだけの、そのようにしてコンサルタントとしての仕事を続けるだけの自信がなかった。だから一度離れることにした。

 当初のように独立して起業するということも今は考えていない。おそらくそれをするだけの能力は私にはないし、扱える案件の大きさを考えた場合コンサルをするにしても企業に勤めていた方がいい。

 そして、目下の集中すべき事項は次の仕事を一生懸命やって成果を出すことだ。独立とかなんとかというのは結果であって目標とすべきことではない。結果として私にそれだけの能力が身について、その時もしそうしたいと思ったのであれば、その方向に舵を切ればそれでいい。

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 うつ病になった時、本当に自殺を考えた。一方で、なぜうつ病になると希死念慮が湧くのか、希死念慮とはどういう心の動きの結果生まれるものなのか気になったのでいくつかの文献にあたった。曰く、希死念慮や自殺願望とは現状の苦痛からの脱出手段として心が生み出す自衛手段らしい。

 不思議なことだが今はそういった希死念慮のようなものを全く感じない。どうやら耐えがたい「現状の苦痛」からは一旦抜け出したようである。うつ病の原因は会社にあるわけだから、一時はコンサル会社に入ったことを後悔していたが、今はこの会社に入って様々経験を積めたこと、優秀かつ仕事に対する姿勢を尊敬できて、なおかつ最後まで私を気遣ってくれた素晴らしい上司と先輩の元で働けて本当に良かったと思っている。おそらくこれは一生の糧になるだろう。

 

 最後に、なぜ加齢とともに時間の流れを早く感じるようになるかについて私の考察を述べて本文を締めようと思う。思うに、加齢とともに様々なことを経験し、「新しい体験や刺激」を受ける機会が減少することが時間の流れを早く感じるようになる原因なのではないだろうか。経験のある事に対しては脳は過去の記憶や経験を頼りに事態に対処するが、経験のないことに対しては新たに対処法を考えそれを実行に移す新鮮な刺激、対峙したことのないストレスが課される。このストレスの多寡が時間の流れを長く感じさせるか短く感じさせるかに影響するのではないだろうか。即ち、ストレス(刺激)が多ければ時間を長く感じ、少なければ短く感じる。

 うんざりするような一年だった気もするが、生きてきた中で一番長い一年だったと言えば悪くないような気もする。2024年からはまた新しい仕事に就く。もしかしたら、また長い一年になるかもしれないし、今年ほど長くは感じないかもしれない。

 うんざりするような一年だった気もするが、今は「来年はもっと頑張りたい」と思っている。前を向いて追われる一年だったなら、悪くない一年だったような気もする。