正常は唯一認められる異常

 かつて、正常なのは世界の方か自身の方かと考えていた。異常なのは世界の方か自身の方かと考えていた。

朝になるとすし詰めの電車に乗って会社に向かい、上の方針に従ってよく分からない資料を作成する。俯瞰的なビジネスマンはそれを「よく分からない資料」なんて単語で片付けたりしない。自身とその所属部署を組織の中の一部門に位置付け、その中で何故その資料を作成しなければならないのか、その資料が作成されることによって組織にとってどのような意味があるのかを理解し、自身の行為を胸を張って正当化する。更に俯瞰的になれる人間は自身の所属する組織が社会にとってどのような意味を持つのかを理解する。そうして、俯瞰的に、俯瞰的に、視座を高く、視座を高くしていくことで、世界の中の社会の中の組織の中の部署の中の課の中の個人として果たしている役目を理解し、毎日の仕事を果たす。

 

嘘ばかり。そんな人間見たことない。みんな嫌々働いている。組織のこととか社会のことなんて誰も気にしてなくて言われた通りに仕事をして火の粉が降りかからないことを祈ったり、降りかかる火の粉を他所に付け替えたりしている。

 

 そのバカバカしい営みに誰も疑問を覚えないのだろうか。疑問を覚えながらも受け入れて頑張っているのだろうか。その営みを当たり前のように受け入れられない俺は落伍者で社会不適合者なのだろうか。正常なのはそれを受け入れる人間たちのことなのだろうか。異常なのはそれを受け入れられない俺の方なのだろうか。俺はいつまでも現実を直視できないアダルトチルドレンなのだろうか。世界を懐疑的に見つめて、正しさとは何か、あるべき姿とは何かを追求することを忘れてただ風に吹かれるチリの一つになるのがあるべき大人の姿なのだろうか。

 

 正常なのは世界の方か自身の方かと考えていた。異常なのは世界の方か自身の方かと考えていた。