この小さな錠剤に

 いつか、どこかのタイミングで行かねばならないと感じ続けていた心療内科メンタルクリニックに遂に行ってきた。結果は中等度のうつ病とのことだった。お医者様曰く「この手の分野は科学ではあるものの、ある種で文学的な要素が含まれる。あなたの場合、症状に希死念慮と書いている。このような症状は基本的にうつ病と言わねばならない。」とのことらしい。どこからがうつ病でどこからがそうでないのかは専門家をもってしても判断が難しいようだが、希死念慮という単語はこの界隈ではかなり香ばしい文学的表現で、うつ病ノミネート待ったなしということか。

 そうか、世の一般の人々は希死念慮など持っていないのが普通らしい。ではぼんやりと希死念慮があった私は高校生の頃からうつ病だったのだろうか。

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 人間の生きる意味、社会というものの構造とその妥当性、その中で働いていくということについてぼんやりと意識をめぐらせ鬱屈とした気持ちを覚え始めたのは高校生の頃だった。そして「永らえることに大して意味がないなら、さっさと死んで意識を消失させてしまった方が楽なのではないか」と考え始めたのもこの時期だった。

 自身の鬱屈とした気持ちにはっきりと「虚無主義」と名前がついていると知り、希死念慮がはっきりと私の中で立像したのはノーバート・ウィーナーの『人間機械論』という本を読んだ時だった。良くないことに、その頃私は「現代社会そのもの」の構造が嫌いだと感じ始めており、「自身が強く否定している資本主義社会の中で無意味に生き永らえるのなら死にたい。この鬱屈とした気持ちを抱え続けて生きるのはあまりに辛いので、死にたい」と強く思い続けていた。

 だが、そんなこと誰にも打ち明けられない。言ったところで理解されないだろう。その思想をきちんと理解してもらおうと思うと私はまず資本主義と成長主義について語ってから、そうでなければ社会は雇用機会を創出できず失業者にあふれることを前置きしたうえで、人類は必要のない営みをさも意味ありげに続けており、多くの人類はその価値観を疑わずに受け入れていることを相手に同意させてから、その営みが理解できないため社会で働くという行為そのものにどうしても苦痛を感じると説明しなければならない。もし一言で説明するなら「俺は社会不適合者なんだ!」ということになるだろうが、それだと正しく伝わらない。正しく伝わらないなら話したくないが、正しく伝えようとするとおそらく資本主義社会の話が始まった段階でほとんどの人が話を聞くのを辞めてしまうだろう。結果、誰にも話せない。話す気にならない。

 いざ社会人になってみれば思った通りの結末が待ち構えていた。社内説明用の資料の「てにをは」レベルの指摘で盛り上がっている人たち、綺麗なPowerPoint資料でしか進められない仕事、契約書の文言に拘って一生続くメールのやり取り…意味が分からない、意味が分からない!みんなして何を躍起になっているんだ?だれもこの行為に吐き気を覚えないのか!?「仕事ってこういうモノだから」と言って受け入れられるのか!?おかしいのは受け入れられない私の方か!?強く拒否反応を出している私はアダルトチルドレンと揶揄される存在なのか?体裁はなんだ、目的はなんだ、本質はなんだ、無駄ではないか?誰も何も考えてないのか?考えた結果受け入れたのか?そもそも大した疑問なく受け入れたのか?それとも苦しみながら受け入れているのか?教えてくれ、この苦痛が何年も続くことが分かっていてどうして平気でいられる?どうして希死念慮が湧いてこない?どうしてクソ仕事の連続があと30年40年続くことを耐えられる?30歳になれば、35歳になれば、40歳になればいつか受け入れられるのか?

 私は、私は吐き気がする。脂汗をかくし頭が痛くなる。早く死んで楽になりたい。分かっていた結末の中に身を置いて、分かっていた通りの反応が引き起こされた。辛い。とにかく辛い。

成長を求めてコンサルタントという仕事を始めたが、ある月曜日にスーツを着て家を出る段になって足が止まってしまった。時計の針が気が付いたら15分進み、出社に間に合わない時間になっていた。休息が必要だと感じた。そうしてついにメンタルクリニックに行きうつ病と診断された。当たり前だ、こんな抑うつ的な気持ちを抱えて希死念慮たっぷりで表面上は淡々と仕事をして笑っているような状態、鬱以外の何物でもない。

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 「トリンテリックス」、それが私に渡された錠剤の名前だった。比較的副作用の抑えられた最新の抗うつ剤らしい。抑うつ希死念慮といった症状がこの錠剤を毎日飲み続けることで緩和されるかもしれないのである。だが、私のこの感傷は果たして後天的な病によるものなのだろうか。それとも、生まれつきの性格と偏った知識が脳内に巣くっているからなのだろうか。前者とすれば投薬である程度は改善されるだろうが、後者の場合はいくら薬を飲んだところで改善されるものではない。抗うつ剤は性格を改変してくれる薬ではない。

 この小さな錠剤が長らく私を苦しめる希死念慮抑うつ的な感情を軽減してくれるものなのか、全くそうではないのか、目下の私の興味はその点に尽きる。治るなら治したい。もし治らないなら、淀んだ水を溜め込むダムはいつか決壊して、私の魂は大海原にバラバラと運び込まれてしまうだろう。

 君よ、頼みます。私の苦痛を和らげてください。欺瞞でもいいから私をカラッと元気な時のままに留めてください。無駄なことを考えるのを辞めさせてください。楽に、させてください。

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 会社へ向かう足が止まった時、こんなこと本当にあるんだなと思いました。その時に「病院でうつ病の診断書がもらえればしばらく休めるかもしれない。1~2ヵ月休職して、ゆっくり投薬しながら経過を観察し、これからのことを考えよう。そのために診断書をもらおう。」と不純なことを考え、病院に行き、首尾よく診断書を手に入れました。

そして、今後の仕事をどうするか上司と相談をし、とりあえず今週いっぱいはお休みをいただき、来週からその上司が担当している別の案件に入れてもらうことになりました。上司曰く、もともと私と同じ案件で働いていた先輩も軽度のうつ病を抱えながら働いていたらしく、案件が変わって元気にやっているようです(この状況で「調子はどう?」と聞かれれば楽しくやってますとしか答えられないのではないかとも思う。そもそも私の前任者も前々任者もうつ病になってるの、この仕事ヤバくないか。)。

 本当は2ヵ月ほど休職し、投薬しながら症状に変化があるのかを観察したかったのですが、上司はどうも私が休職しない方向に倒したかったと見えます(正式に休職となると社内の備品を一旦返すのが手間だったり、経歴に穴が開き今後の人生で不利になります。)。会社のためなのか私の経歴に穴が開いたり復帰しにくくなったりすることを考慮してなのか分かりませんが、診断書を手にした以上、辛くなったら休職!というカードが手元にあるわけですから、来週からは上司の口車に乗って投薬しながら仕事に復帰しようと思います。のんびりとでもできることをやり続けていた方が精神衛生上良いかもしれない、という考えもあります。事実、有給4日目にして「ゆっくり考える時間を設けたところで何も正解は出ないのでは?」と感じ始めています。

 

結局、私は高校生の頃からずっとうつ病だっただけなのでしょうか。それとも相容れぬこの社会との軋轢の中で涙を流しながら生きていかなければならないのでしょうか。