何処へでもお行きなさい

金魚にプールは広すぎる。鯨に湖では狭すぎる。私には、レーンで区切られたプールしか泳げない。

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  高校から大学へ上がった瞬間、酷く困惑した覚えがある。何をするのが正解なのかが、まるで分からなかった。勉強か?部活か?サークルか?ボランティアか?

  何をしても良いとはなんだ、何をすれば良いのだ?悩んだ末、私は体育会の部活に入った。怠惰な活動に心を売ってフニャフニャ笑ってクッソくだらない人間関係に悩むくらいなら、せめて打込める物の方が魅力的だった。そして半年で辞めた。「大学に部活をしに来たのか」という自問に答えられなかった。そもそも、学ぶべき分野があって大学に来たのだから、それを学べば良い筈だったのに、周りにそんな選択肢を選ぶ人間が居なかったから、それすら正しいのか判然としなかったのだ。

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  孤独な大学生活だった。起きて、授業を受け、図書館に行き、食堂で飯を食い、授業を受け、食堂で飯を食い、図書館に行き、ジムに行って、寝る。当時の私を修行僧と揶揄したヤツがいたが、言い得て妙だ。

  それだけは本当にやめてほしかったが、「何が楽しいの?」って聞いてくるやつもそれなりに存在した。人が目的に向かって邁進しているのに、邪魔をするなよ。楽しくはねえよ。せめて、自分の中では正しい道を歩んでいると信じているのに、簡単に否定するなよ。もっと熱をこめて自分の理想を周りに語っていればまた違っていたかもしれないが、愚かな私は孤独を選んだ。

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  ある時期、私の中にあった勉強の目的は霧散してしまった。義務感と幼少期に植えつけられた呪いだけが私の原動力だったのに、義務感は猜疑心と成り果て、呪いだけが心に巣食った。気が付いたらまた、大きな海の中で道標を失っていた。

  大学に入学した時と一緒だ。結局わたしは「何がしたいか」ではなく「何をしなければならないか」でしか考えられないのだ。ずっと悩んでいたが、大学に在学していた間は勉強という行為が私の義務論と呪いを癒し続けていた。だから、何がしたいのかという問題は先送りにし続けていた。それが、社会人になった今になって、私を苦しめている。私は、何をしたいのだろう。

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  大洋の中にいて、私は、私を程良く癒す義務を探している。私が私でいなければならない理由を探している。なんと虚しい事だろうか。