ずっとそんな気持ちかもしれない

私は、「どんな人間にも等しい機会が与えられる世界を実現したい」と夢見ていた。

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 2020年6月6日(土)  午前8時半、遅めの起床だが朝食の内容はバランスがとれていて文句なし。買い物を手早く済まし、家の掃除に移る。今日は電子レンジの中やベランダ、排水溝等、細かい場所も掃除する手筈になっていた。各排水溝にクエン酸重曹を流し込み、掃除完了。丁度正午の12時。

 昼食はお気に入りの袋ラーメンにたっぷりとトッピングを載せる。自作の肉味噌、ほうれん草、豚バラ肉、生卵。今日はここまで素晴らしい進行具合だ。

 昼食後、アイスコーヒーでカフェインを摂取した後、昼寝をし、きっかり30分で目を覚ます、14時半。そこから勉強も兼ねて読書を始める。気色悪いほどに整然と進められる休日。

 17時、余りの肉味噌と白米、焼き芋を食べる。1時間後の18時、私はジムでトレーニングを開始しているはずなので、事前に食事をすべきなのだ。

 17時半、支度を済ませ、ジムに向かう。そしてジムが未だに再開していないことを知る。

 

一体、私が今日どうしてこんなに規則正しい生活を送っていたと思うのだ。全て夕方にジムに行くためだったのだぞ。私がどんなに"気持ちを作って"いたと思うのだ。

遠足が雨で中止になった子供が、部屋の隅で三角座りをしているような気持ちで私は家に帰った。ランニングに行くことも考えたが、最早そんな気持ちにもなれなかった。

 

思えば、夢を見なくなってから、ずっとそんな気持ちで生きていたかもしれない。

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 小学生4か5年生のころ、私は世界に「最底辺の10億人」が存在することを知った。銃を持つ齢変わらぬ子共達、剃刀で遊ぶ幼児、栄養失調でおなかの飛び出す人々。世界人口70億のうち10億はそんな調子で、同じく10憶は最も恵まれた環境に与り、残りがその間に生まれる。私と彼らの間に差異があったとすれば、それは生まれた場所だけだろう。だとしたら一体なぜ、こんな格差が生まれるのだろう?幼い私は疑問に思った。そして、自分はこの問題を解決するために生きていこうと思った。

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 かといって何かするわけでもなく、私は能天気に高校3年生になり、進路を考える段階になっていた。大学で何を学べばよいのだろうか、何を学びたいのだろうか。

「ああ、そういえば子供の頃、俺は…」

そこでようやく、自分の中にあった情動と向き合うことになる。世界の貧困を何とかするのだ。

貧困脱出を助けるには何かしらのツールが必要になるに違いない。それは語学とか国際理解とかいうフワッとしたものじゃなくて、もっと堅牢なものだ。文系の私でも目指せる、経済学しかない。そして、大学で経済学を学び始める。

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 経済学という学問は実に面白かった。人々を、企業を、世界の全てを因数分解し、最も好ましい変数の値を探し出す。最強の学問だ、何もかもを解き明かせる。

 経済学を学ぶ中で人々の行動を言葉で説明できるようになった。金融市場の予測が可能になった。世界史を俯瞰し、政治を見つけた。数学の美しさを知った。そして、経済発展の経路を確かに理論として描写できるようになった。本当に面白かった。

 

 そして残酷だった。人々がいかに非合理かを知った。金融市場が世界を歪めていることを知った。支配と戦争の時代を知った。現実は美しい数学では説明できないと知った。そして、貧困の原因が先進国、つまり我々にあるのかもしれないと知った。

「そんなの当たり前じゃん」という人がいるかもしれない。ただ、君らの認識と私の認識は違うと、はっきり言っておきたい。「そういうもんでしょ?知ってるよ」という思い付きではない。上手く言えないけれど、もっとずっと苦しい理解の過程がある。

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 私は大学生活を勉強に捧げた。2年の頃には英語で論文を読み漁っていたし、3年生になる頃には大学院の授業を国内と、留学先で履修していた。

 そして4年生の頃には絶望していた。余計な文献を読みすぎたのかもしれなかった。すなわち、「果たして貧困開発って本当に正しいのだろうか?先進国の都合で開発を行い、彼らを資本主義に巻き込むことは、彼らにとっての幸せなのか?」という疑問に答えられなくなっていた。幼い頃からの夢とか意思とかいう灯が、心の奥底でずっと静かに燃えていたけど、なんでもない風にそっと撫でられて、簡単に消えかけていた。

 貧困が貧困のままで良いわけがない。だって銃を持つ子供がいる世界が、正しい訳がないのだから。誰でも同じことに同じ水準でチャレンジできる世界の方が正しいに決まっているのだから。でも、最後の最後まで開発の正しさについては答えを出せなかった。強いて言うなら、正しくない開発は悪と断じなければならない、ということになるが、それこそ「そんなの当たり前じゃん」

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 そうして私は普通に就職活動をして、特に不自由のない、将来を約束された、貧困開発と何の関係もない職に就いた。情熱の炎なんて燃えているはずがない。そもそも、どこを探しても火種がないのだから。

 今日、ジムが開いていないのを知って落ち込んでいた時、ふと、僕はずっと三角座りをして悲しんだままなのかもしれないと思った。

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 実は、開発行為は正しいのか、という質問に今なら明瞭な回答をすることができます。答えはYESです。ずっと考えていましたが、最近日本の著名な開発経済学者(大塚啓二郎先生です。なんと、今は私の母校の神戸大学に在籍されています。)の本を読んでいたところ、はっきりそう書かれていました。「開発が正しい行為か、という質問をする人がいるが、そういう人は実際に途上国に行ってみるといい。貧しいことがどれだけ悲惨か分かるだろうから」と書かれていました。だから答えはYESです。それで納得なのか?と思われそうですが、大塚先生が言っているのであれば間違いありません。私の思慮が先生の意見を上回っていることはあり得ない。

 そもそも私が開発行為に疑問を持ち始めたのはWallersteinの世界システム論を学んでいた時でした。簡単に説明すると、世界は各々がセパレートコースを走っている(単線的発展段階論)のではなく、互いに影響を与え合っているという考え方です。パイは一つで、誰かがたくさん取れば他の人の分は少なくなります。この世界でパイをたくさん取っているのは明らかに先進国です。その先進国が、今になってやれ開発だと口にする。なんと傲慢なことか。

そして、私はその考え方が帝国主義の時代の考え方と似ていることに気が付きました。それは「White Man's Burden(白人の義務)」と言って「未開の地を開発するのは文明国に生きる白人の当然の義務だ」という考え方です。心の内がどうだったかは分かりかねますが、これはただの植民地支配を正当化するための方便です。そしてWilliam-Easteryという元世界銀行職員が"White Man's Burden"という、そのまんまな本を書いていること※を知り、私の気付きが誤りでないことを確信しました。

それから、途上国の人の幸せについて考えるようになりました。先進国の人間がやってきて、やれこうしろああしろと開発を強要してきて、資本主義のチェーンに組み込まれていくことが彼らにとって幸せなのかと考えるようになったのです。あまり内容は覚えていませんが、幸福そのものについてや、資本主義と幸福の関係性について勉強していた時期もありましたし、正しさについて考えるために正義について勉強していた時期もありました。

 

 私自身の勉強は、私にとって決して無駄ではありませんでしたが、ただ大塚先生に一言叱責されていれば、もっと早くに素直な回答を受け入れていたのかもしれません。

もしくは、私は開発が正しい行為だということは分かっていたのに、夢を諦める理由としてネガティブな要因を探し求めていたのかもしれません。

 今になって、もっと早くから、もっともっと上を目指して頑張っておけば良かったと思ってしまう。向こうの道の方がよっぽど困難で苦しいでしょうが、少なくともあと40年は労働をしなければならない中で、ずっと死んだ魚の目をしているのは耐えられないのです。


でも、もしどれだけ努力しても、同じ結末だったとしたら、その時はどう悲しめばよいでしょうか。


 

※Easteryは当時の世銀には言論の自由が認められていたために、世銀職員でも世銀を批判するような発言がある程度許されていたと書いています。Easteryの本も世銀をバチクソ批判しており、彼はこの内容でも大丈夫だろうと思っていたようですが、悲しいことに彼はこの本が原因で世銀から追い出されてしまいます。