【クリアしたんだと思う】 2020/04/17 Fri.

クリアしたんだと思う。

何を? 人生を。

..............................................................

 働き始めて1年が経った。「1年で何が分かるのだ」と叱責されるのを覚悟で言うが、弊社のことは大体わかった。だから、自分の人生がどうなっていくのかも大体わかった、気がする。

 

 何も完璧に仕事がこなせるというわけではない。ミスもする。書類もダメ出しされるし、どう対処するのが最善か判断できないタイミングもある。ただ、それら『困難』のハードルが恐ろしく低い。何年かすれば大股で跨げるようになるだろう。わざわざエイヤーと飛び越える必要もない。のんびり歩いておればよいのだ。

 

 そんな仕事の割には待遇が良い。楽で、給料が良い。しかも官僚の天下り先なので潰れることもない。ホワイト高給とはよく言ったものだ。元々そういう仕事を選んだのだ。選んで、200倍程度の倍率を勝ち抜いて得た職なのだ。ある種、当然の権利といってもいい。だから、歌の歌詞に出てくるような、疲れた社会人が口にするような、「毎日同じことの繰り返し」というのと、私のそれは少し違う気がする。私は別に疲れもしないし、寂寥感と虚しさに押しつぶされそうになってベッドで突然涙を流したりもしない。

 

ただ「退屈」だった。張り合いのない仕事が続いて、いい御身分な暮らしがダらっと続いて、膝丈程度の温水プールが今立っている地点からずいぶん遠くまで続いているのを見渡せるのが、ひどく退屈だった。

私は、クリアしたんだと思った。

そうではないか?この先、大した努力もなしにそれなりの生活が約束されているのだ。人生のクリア、一つの到達点にゴールした。この先、結婚して家族ができて、子供の成長を見守るのだ。クリアだ、この先は何も無い。後はエピローグなんだ。

 

冗談じゃない。そんなゲーム、誰がいつまでも遊んでるというのだ。

..............................................................

 

 最近、大学に戻る選択を考えることがあります。せっかく飛び級して院まで出ていい職に就いたけど、院に戻ろうかと考えるんです。

幼い時の自分が見ていた夢が頭から未だ離れないんです。考えないように、考えないようにしていても、いつも考えています。いつも関連の本を手に取っています。だから、いい加減、私の方から少年の夢を迎えに行ってやろうかと、思うのです。

 そういえば、親しい友人にも夢の話とかしたことありませんね。私が大学生活を勉強に捧げていた理由でもあるのですが、これは今度、書こうと思います。長いので。