【ノーバート・ウィーナーとマルサスの罠】 2020/03/31 Tue.

サイバネティクスの父であり偉大なる数学者、ノーバート・ウィーナーは著書『人間機械論』の中で「人間の科学技術の発展は、宇宙規模のエントロピー増大の局所的な遅延にすぎない」と述べた。ブラックコーヒーと、そこに注がれたミルクがやがて境界を失うように、巨大なマグカップに収まる宇宙も最終的には混沌に帰す。人間の営みというのも、所詮は秩序崩壊の先延ばしでしかないと言うのだ。当時大学3年生であった私は、虚無主義的で終末論じみたこの言葉に妙に納得してしまった覚えがある。

 

私はウィーナーの言葉に触れて「マルサスの罠」という経済学の用語を思い出していた。噛み砕いて説明すると、18–19世紀に活躍したマルサスという経済学者が、人口の増加に対して食料供給の増加は追いつかないため大規模な飢餓が発生し、人口増加は停止するという説を提唱したのだ。この「必然的に食糧不足が発生する」という問題を「マルサスの罠」と呼ぶのだが、彼が提唱した問題は実際には克服され、発生しなかったという見方のほうが強い。農耕技術の発展により単位面積当たりの食料生産率が向上し、十分な食料が生産可能となったのだ。

この、「深刻らしき問題が発生しそうだったが、科学技術の発展により一時的に回避された」という事象が冒頭のウィーナーの言葉と合致しているように感じたのだ。この世界には食料不足、エネルギーの枯渇、極度の貧困など数々の問題が残されているが、いずれは克服されるだろう。しかし、それでもいつかは、避けられない困難が、何かしらの終わりが訪れる。些事の超越とは、来るべき終焉までの先延ばしでしかないのだろう。今から2時間後、太陽が爆発したとして乗り越えられるわけではない。

 

今般、コロナと呼ばれるウィルスが原因の感染症が世界的に蔓延している。このような未曾有の危機が発生して、私の心に浮かんだのがウィーナーの言葉と「マルサスの罠」であった。

「宇宙規模のエントロピーの増大を局所的に遅延させる」ように、「マルサスの罠」に人類が掛からなかったように、多大の犠牲を代償に人類はこの事態を切り抜けるだろう。そんな諦念と、虚しさに背中を預けた楽観論と、この先多くの命が奪われ、それより多くの人が苦しまなければならないかもしれないという哀しみが私の心の中にある。こんな気持ちになるのなら、勉強などしなければ良かった。本など読まなければ良かった。