朝に道を聞かば

子曰く、朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり

論語の一節である。朝にこの世の理を知ることができたのなら、その日の夕方に死んでしまっても構わないという意味で、真理やそれを知ることの大切さを強調した教訓である。

そんなことなら真理など探究しない方がいい。死んでしまっても構わないと思い続けて生きてはいけない。

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 私が人生の意味とか人類存続の意義とかについてぼんやりと考え始めたのは高校生の時だった。特に何のきっかけもなくそういう神秘めいた疑問が頭の中に持ち上がり、それについてぼんやりと考え事をすることがそれなりにあった。ぼんやりとした自殺願望が目覚めたのもそのころだと思う。つまるところ、生きるとか死ぬとかに大して意味がないのであれば、今死ぬのも明日死ぬのも100年後に死ぬのも大差ないはずなのだ。

 この馬鹿げた拗らせが頂点に達したのが大学生の時だった。自分が妄想していた人生とかこの世の無意味さみたいなものが「虚無主義」という名前の思想としてきちんと研究されているではないか。私はすぐにそれについて何冊も本を読み、自分の考えの正しさを確信し、「だったら死にたいな」と考えていた。「死にたいな」というよりは「こんな気持ちを抱えながら何十年も生きていくのはあまりに苦痛だな」という気持ちだった。人間、自分にとって都合のいい(自分を正当化する)情報ばかり仕入れようとするものだ。どうせならもっと前向きな情報収集がしたいところだが、とにかく大学生の時はそんなことをずっと考えていた。

 会社員になるとこのネガティブシンキングはさらに加速した。入った会社というか部署が良くなくて精神的にかなり参っていたのだと思う。会社でしんどい思いをしている自分自身を慰めたり正当化したりするために、資本主義における労働者と資本家の対立、快楽を求め続けることの愚かさ、努力するよう仕向けられていること自体が誰かの作意によるものであること、終わらないランニングマシンに乗せられて走り続ることがいかに間違った生き方なのかを勉強し、また論じていた。つくづく理屈家でイヤな奴だな

とにかく勤め先が嫌で嫌で、すぐにでも辞めたかった。この先どうやって生きていこうかなんて大きなことは簡単には答えを出せないけど、行動を起こせば簡単に変えられる現状だってある。そうして新卒で入った会社を2年で辞めた。大卒者の新卒3年以内の離職率は3割と言われており、3年も我慢が続かん奴の気が知れんなとか思っていたけど、私はあっさり我慢の続かない側に回ったのだった。

 で、今の会社に移ったのが2021年7月である。いささか、いや滅茶苦茶のんびりした部署でなんだか自由にやらせてもらっている。環境が変わって小難しい思想とか哲学について勉強することも減ったし、文章を書いたりすることも減った(ブログが全然更新されないのもそういうことである。)。私が勉強や作文をしていたのもつまるところストレス発散でしかなかったのだろう。人間、そうした抑圧が衝動となって創作活動を行うものなのだと思う。

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 小学校から続いていた問題意識に決着がついたのが大学生、高校・大学で生まれた何某かの疑問とか暗澹たる思想がゆっくり流れていったのが2021年。2022年、ようやく空になって色々なものを詰め込むだけのスペースができたように思う。そろそろ、どうやって生きていくのかを決める段階だろう。実は、今ちょっとした挑戦事をしている。それが終わったらこの忌々しい資本主義と向き合って生きていく覚悟を決めようと思う。言い訳しないで、噛み殺したい。この世界。